しゅんぺーのプロフィール

しゅんぺー

どうも!しゅんぺーです!

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

僕は輸入ビジネスやブログ、コンサルを主軸に、パソコン1台で収入を得て生活しています。

このページでは、自己紹介を含めた生き方や考え方、価値観をお伝えしたいと思います。

現在、会社員や公務員として働いている方に読んでいただいて、何か得られるものがあれば幸いです。

しゅんぺー

僕は兵庫県淡路島出身の27歳で、

 

Mr.Childrenとバスケットボール、映画をこよなく愛する元中学校の体育教師です。

 

大学卒業後に中学校の教師になりましたが、 子どもたちは好きだけど働き方に不自由さを感じて、

 

今では教師を辞めて、パソコン1台で時間や場所を問わず枠にはまらない働き方を実現しています。

 

ノマドワーカー・パラレルキャリアという働き方です。  

 

時間に囚われない働き方をしているので、映画の公開初日が平日でも真っ先に見に行くことができます。

 

また、友人と会う時でも相手の都合にいつでも合わせられる便利な生活をしています。

 

そして、旅行をしたいと思ったら平日のど真ん中でも関係なく自分の好きな日程で旅に出ることができます。(しかも期間も自分で決められる!)

 

当ブログでは、その旅の模様を中心にナビゲーションしています。

 

そして、その中でもゲストハウスを中心に特集しています!

 

今となっては時間や場所にも縛られない生活ができていますが、学校という職場を抜け出して独立するのは勇気のいる決断でした。

 

でも、確実に今のノマドワーカーという働き方の方が僕は好きだし、僕に合っているのかなと思います。

 

むしろ、こんなにも自分の人生を自分で作っていける生き方や働き方があるなんてことを早くから知っておけば、もっと早くから未来をひらけてたぞと思ってしまいます。笑

 

とはいえ僕は元々先生しかなる気がなく、先生をしていれば安心だ、と思っていた学校以外の社会を知らない世間知らずの一般人以下の一般人でした。

部活動に明け暮れた学生時代

僕の学生時代はひたすら部活動のエピソードしかありません。 

 

一人で旅をした経験もありませんでした。  

 

ヒッチハイクもしたことがないし、留学経験もありません。

しゅんぺー

でも、憧れはあったと思います。人生で自由になれたら冒険に出てみたい!くらいの気持ちはありました。

そんな僕は、小学生から大学まで部活動一筋で過ごし、将来が安定してそうな教師という道を目指していました。

 

小学4年生から始めたバスケットボールに大学4年生までみっちり、がっつり浸かっていました。

 

友達から誘われて始めたバスケですが、どんどん成長していく感覚が楽しくてハマっていったんですね。

 

有名な選手(今はBリーグのプロになっているような選手)と試合ができたり、しんどい練習を仲間と一緒に耐えたり、経験やメンタルは鍛えられたかなと思います。笑

 

しかし、県で優勝・優秀選手などそこそこの実績はあるものの、「バスケばっかりやってても将来はこれでは食っていけないぞ」って思い始めたのは高校生くらいの時でした。

 

でも、バスケは大好きで何かしら将来も関わっていければと思って選んだのが、教師という選択肢でした。

 

『部活動の指導でバスケ教えられるやん!これって楽しいし、楽そう!』って思いました。
(大好きな給食も食べられるということで一石二鳥でした!笑)

 

中学校の保健体育の先生になれば両方叶うだろうと思い、教師を目指すことにしました。

 

部活動を引退して、教師になると決めたら、志望校を目指してまっしぐらでした。

 

しかし、高校の部活動を引退した時の志望校はD判定。笑

 

センター試験の模擬試験で例えると900点中180点。。。

しゅんぺー

絶望的な点数だということは分かる人にはわかると思います。笑

しかし、がむしゃらに勉強してA判定まで点数をあげて、香川大学に入学しました。
(一応、地方の国立大学です)

 

点数で言えば580点でした。

 

そして、やっぱり大学時代の大半も部活動に捧げた日々でした。

(四国インカレ予選決勝戦の写真)

 

みんなが遊んでいるときに練習をして、みんなが休んでいるときに試合をして、部活動に捧げた青春時代がそこにはありました。

 

プライベートの大半をバスケットボール費やした私は心の片隅に、

 

「このまま学校の先生になってまたプライベートもなく働くんだろうな」

 

という思いを抱きながら、社会人へのカウントダウンが始まりました。

自由という選択肢ができた初の海外旅行

社会人になるまであと数ヶ月。

 

最後の思い出作りに友人と卒業旅行で、スペインのバルセロナに行きました。

 

これが僕のちょっとした人生と旅の転機でもありました!

 

初の海外旅行でした! もう見るもの全てが新鮮で、ワクワクが止まらなかったんですね。
(絶対に動かないパントマイマー。チップをあげれば動きます。笑)

 他にも、ご飯を注文するのもメニューに何を書いているのか分からなければ、言葉も通じない。

 

電車に乗ることも文字が読めないだけじゃなくてスリに遭う危険性がある。
(バルセロナは世界ナンバーワンのスリの地域。巧妙なんですよ。笑)

 

でも、それらが不自由ではなく『自分の今まで住んでた世界って小さかったのかも』っていう未知の世界に冒険することへのワクワクだったんです!

 

いろんな本を読んで、よく「海外を見ろ」というフレーズが出てきますが、海外を見て僕の中でも選択肢が増えました。

 

それは”自由”という選択肢です。

 

社会で働く事を目前に、しかも教育実習などで教師のブラックな部分を垣間見ながらそれでも教育の道に踏み出そうとする私には衝撃でした。

 

職場に箱詰め状態の日本とは全く違う景色が広がっていました。

 

バルセロナでは、平日の昼間っから公園でのんびりくつろいでいる大人がたくさんいるんですよね。

しゅんぺー

スーツ姿の人も公園でのんびりしているんですよ!笑
それが不思議でたまりませんでした。

 

大人になっても仕事だけで人生が完結せずに、自分のライフスタイルを確保している大人がいることがすごいと思いました。

 

そののんびり感がよくて滞在期間の5日間は毎日公園に足を運びました。
(もうバルセロナが終わっちゃう。もう社会人になっちゃう。と思いながら名残惜しく散歩をしている様子)

(また世界中を旅して、ニューヨークのど真ん中とかでこんな調子に乗ったポーズもやりまくりたいなと思っていました。)

 (また、バルセロナに行ってのんびりしたいな。てかもっと世界を見たい!)

社会に足を踏み入れる間近にして、『働きながら自由が手に入るなら、絶対に自由を選択をしたい』と正直、心が揺れ動いていました。

 

それは、大学の卒業旅行にして初めての海外旅行で、 平日の昼間から公園でのんびりできるような大人像をみてしまったから。

 

そして、働き方には自分が知っている以上に多様性があるのかもと感じつつあったから。

 

しかし、それらの”自由”という選択肢の可能性に気づいたものの、時すでに遅しで、厳しくエゲツないしゅんぺーの社会人生活がスタートするのでした。

想像以上の教育現場のエゲツなさ



大学を卒業するやいなや、働くための準備を何一つすることなく、4月1日から不安と希望を抱きながら勤務する中学校に向かいました。


全く知らない先生方ばかりで、右も左も上も下も分からない職員室で、気を使いながらも何をしていいのか分からないという状況でした。


僕は1年生の学級担任を任命され、あっという間に壮絶な教師生活が幕を開けました。


入学式までの1週間、何をすればいいのか分からず自分の教室で2日間くらい籠ってました。笑

 

自分から聞かないと新人でも何も教えてくれない社会人の環境に厳しさを感じながらも何とか準備を終えて、入学式で新入生を迎えることができました。

 

入学式が終われば、4月末に授業参観と家庭訪問。


五月末には運動会と、次から次へと行事が押し寄せてくる毎日でそこに一喜一憂する間も無く時はすぎて行きました。


もはやこなしていくだけの行事たちで「社会人って半端ないな」とすでに嫌になってました。笑


しかも部活動でバスケを指導することが夢だったにも関わらず、指導を任されたのはサッカー部だったんですよね。笑


学校の不良が集まるサッカー部だったので、それを若い力で変えてくれという狙いだったみたいです。


そもそもサッカーなんてよくわかってないし、戦術なんて教えられません。


そんな部活を土日も休みなしで指導する日々でした。
(サッカーって毎週のように試合があるんです。。。)


結果的にはその子たちが真面目に練習をして、態度もある程度改めてもらって、県一位になるための土台づくりに貢献できたので勉強にはなりましたが、


若手にこれをやらせる教育制度ってやばいなって同時に思いました。


なかなか大きな学校なので先生自体は40〜50人くらいいたし、その中で3、4人くらいの新人のなかの2人でサッカー部を任されましたからね。

 

しかも、相方の先生もサッカーが専門ではありません。笑


そんな時にふと、学校は必ずしも先生一人一人を守ってくれないんじゃないか?


とも思い始めた時期でした。


そして、平和な学校ではなかったので放課後の部活の後は、生徒指導と家庭訪問がほとんど毎日のようにある平日でした。


部活動の朝練も含めたら朝5時半から夜10時まで学校で過ごしていました。

 

年齢とか関係なく半分以上の先生がそんな働き方を平気でしていました。


僕はそんな働き方の中で彼女や友人と約束していても生徒指導で約束をドタキャンしたり、大幅に遅れたりで自然と彼女や友人との距離も遠ざかっていきました。


そんなしんどくてしんどくて仕方がない日々だったのですが、


どうしてそれが続けられたのか、これは単純で「みんながやっているから」なんですよね。


ここで言うみんなっていうのは、職員室の中にいる仲間意識の強い先生たちだけのことです。
(早く帰る先生は早く帰っています。)


視野が狭くなっていて、その時はそれが全ての大人のように見えていたんですね。


「あの意識の高い先輩の先生が仕事をしているから、自分も仕事をしよう。休日も仕事をしよう。」


「みんなは弱音を吐かずに働いているから、自分も弱音を吐いてはいけない。」


こんな日本人特有の集団意識の中で、自分を押し殺しながら仕事をしていました。


「こんな働き方をあと35年も絶対に続けられない」という思いはありながらも他に選択肢がなくズルズルと続けていました。

教師以外の道が見えたきっかけ


教師を続けて3年が経つころにいくつかのことが見えてきました。

  • プライベートな時間はこれからも得られない。
  • 周りの教師は毎年同じような愚痴や話題で盛り上がっていて面白くないと思う時がある。
  • 学校(職場)に行くとなぜか毎朝お腹が痛くなる。

ずっと教師として働くことに絶望を感じている時に僕は教師という職を失うことになりました。


それは採用試験には受かっていない臨時教員という立場だったこともあり、クビになったからです。


将来教師を目指している人なら、「仕事がなくなってやばい」と思うかもしれませんが、私の心はその真逆でした。


『もう学校に行かなくていいんだ。』


本当にホッとしました。


もうボロボロの状態だったので、働かないことが最高でした。笑


でも、最高という余韻にはずっと浸っていられません。


働かないとお金は減っていく一方です。


そこで閃きました!


『身の周りの不要品を売っていこう。これは少なからずお金になるはず!』と。


そこから、メルカリやヤフオク、ラクマで不要品を売っていく日々が始まりました。

そして、ノマドワーカーになるという第二の人生が始まりました。

不要品販売からノマドワーカーへ!

家にある不要品という不要品は全て販売しました。

 

特に教師時代に使っていたものは全て売りました。

 

教育書や使わなくなった審判服、自分の着なくなった服など手当たり次第に販売しました。

 

するとひと月に3〜5万円の利益を得ることができました。

 

教師を辞めたすぐで次に何の職業をするのか決めていないそんな状況で、見えた唯一の希望でした。

 

正直、このままどこかに就職したり別の学校で勤めてもまた同じように夜遅くまで働いて、自由に時間をコントロールはできないだろうなと思っていたので、

 

僕としては本当にいい時期に自分の力で収入を得る方法を見つけたなと思います。

 

個人でネットで販売できることがわかったので、あとはそれで生活できる(収入を得る)方法がないかなと思って、スマホや書店でめちゃくちゃ調べました。

 

そこで出会った一冊の本がわかりやすくて僕にもできそうだなと思ったのが、輸入ビジネスでした。

 

その本の通り海外の通販サイトで仕入れて、それを日本で販売するという仕組みを取り入れて全て独学で販売していました。

 

「これで生活してやる!」というやる気は半端なかったのですが、そんなに簡単には結果は出ませんでした。

 

ひと月に3万円の収入が限界くらいだったんですよね。

 

そんな時に輸入ビジネスでトラブルがありました。

 

それは1つ8000円で仕入れたサングラス3つともレンズしか届きませんでした。(フレームがなかったんです)

 

8000×3=24000円の損失はきついなーと思ってネットで返品の方法を調べていた時に、

 

ある方のブログに出会ったんですよね。

 

その方は僕と同い年で僕よりも2年も早く輸入ビジネスで独立していて、朝は寝たいだけ寝る、たまに1週間くらい海外旅行に行く、仕事をする場所はカフェや家、旅先と自由!

 

そんな想像もできないくらい自由な生活をしていたんですよね。

 

僕はどうやったらこうなるのかが知りたくて、早速メルマガに登録して、音声通話をして、直接指導していただきました。

 

自分の当時の利益でもまかなえるほどのコンサル料金だったので即コンサルをお願いして、僕の輸入ビジネスが始まりました!

 

僕は持ち前のやる気と根性で(笑)開始3ヶ月で月利11万円を達成して、ブログも書き始めてさらに利益を上げていきました!

 

部活時代の根気が戻ってきて、やると決めたらやり切る気持ちで、本気で学んだ末に念願のノマドワーカー・パラレルキャリアで働くこともできました!

 

今では、その学んできたことや自分の体験を広く発信していく立場になっています。

ゲストハウスブログを作った理由

僕がこのブログを作ったのは自分に大好きな旅ができる時間ができたからです。

 

旅に出て、いろんな人に会って、いろんなものを見て、それらをまた自分に還元していく。

 

せっかくパソコン1台でできる仕事をしているのでその利点を活かさない手はありません。

 

日曜日の夕方に「また明日も仕事か〜」と嘆くこともなくなり、毎日が休日のように過ごせていますからね。

 

一つのライフスタイルの形を世間の人に知っていただくためのブログでもあります。

 

ゲストハウスを特集している理由は『恩返し』です!

 

僕が輸入ビジネスでいい感じになるまでの期間、関東にいる指導者のところに定期的に行って学べることはないかと行動していました!

 

でも旅費交通費は抑えたかったので宿泊したのが、ゲストハウスだったんですよね。

 

ゲストハウスは安いし、国内外の方と関わることのできる最高の場所だということに気がついて、ハマったんですね。

 

しかも、ゲストハウスごとに雰囲気やスタイルの違いがあって、毎回楽しませてくれるんです。

 

そんなゲストハウスが、コロナ期間で世間の経済の流れや人の流れが止まっている時に何かゲストハウスの手助けになればということで書き始めました!

 

僕はどんな人に会えるのかどんな話を聞くことができるのか、何を見ることができるのか、いつもワクワクしながら旅に出ます。

 

それだけ人に興味を持ち、好きになれるのも自分の特徴かと思い、当ブログを書き続けています。

これからやりたいこと

これからやっていきたいことは旅に出まくって いろんなものを見て、いろんな人に会って日本や世界に仲間を増やすことです。

 

旅の模様はブログだけでなくインスタグラムでも発信したいと思っています。

 

実際にゲストハウスのスタッフさんとインスタライブをしたりね!

 

仕事での夢もプライベートでの夢も一つずつ叶えていきたいなと考えています。

 

そして、さらに自由になることですね!

 

また読者さんとも仲間になるのために色んなことを行っています。

 

メルマガで情報を配信したり、ブログの書き方、輸入ビジネスの収益化などなどコンサルティングも行っています。

 

相談は無料ですのでこれを機会にブログを書いてみたいという方はおっしゃってくださいね。

また、しゅんぺーの公式メルマガ『ノマドメルマガ』では旅人であり、ビジネスマンである僕が

 

皆さんのご質問に答えたり、お悩みを聞いたり、僕の思うことを発信しています。

 

期間限定で登録者には『ブログの書き方マニュアル』もプレゼントしています。

 

しゅんぺーの公式メルマガ『ノマドメルマガ』です。

 

パソコン1台で収入源が作れる。パソコン1台で自由になれる人が増えてくれると嬉しいです。

 

そして、会社に縛られない自分が思う理想の生き方ができる人が増えてくれればと思います。

 

公式ラインでもご質問は受け付けていますよ!

 

しゅんぺーの公式ラインです!

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